おはようございます。
四ツ谷接骨院の藤本です。
昨日は、私の野球人生失敗談についてお話させていただき
自分の苦い経験をお話するのはお恥ずかしい限りでしたが
まだまだ救えていない野球選手に対して
何ができるかを考えた時に
原点回帰(原点に戻る)でした。
自分の経験を下の世代に正しく伝えていく。
今後も少しずつ細かなことも記憶を紐解きながら
お話させていただきますね。
さて、本日は野球肘症例です。
本日もみなさんと考えていきたいと思います。
忘れられない野球選手
私として忘れられない野球選手の症例です。
中学1年生 野球選手(ピッチャー)
小学3年生から野球を始め、肩肘の痛みは全くなく
中学1年生の夏に肘に違和感を覚え、当院に来院されました。
はじめに肘を触診した時に
非常に嫌な予感がして、エコー観察を行いました。
(※注 上記の画像は本人のものではありません)
エコーを見慣れた方ならわかると思いますが
いわゆる離断性骨軟骨炎の示唆されるエコー画像を
観察することができました。
離断生骨軟骨炎
いわゆる外側型野球肘。
重症化すると、関節が破綻し、変形性関節症。
肘の後遺症(肘の曲げ伸ばしが著しく制限される)
を一生背負って生きていかなければなりません。
下記の可能性が高まります
・右手で右耳に携帯電話を当てることができません
・荷物運搬作業が不自由になります
・上半身を使うスポーツに支障が出ます
・草野球はもちろん思うように投げることができません
初期では痛み症状は全く出ず、
中期になり、初めて痛みが出現します。
この時点で、手術確率は50%。
末期になると、強い疼痛と肘のロッキング。
関節腫脹をきたし、手術確率90%。
手術をしても元の肘には戻りません・・・。
選手には以上のことを
やんわり伝え、豊橋の選手だったため
紹介状を書き、豊橋の整形外科へ受診するように伝えました。
診断はやはり離断性骨軟骨炎
病院後、接骨院に来ていただきましたが、医師から
「まずは6ヶ月。1年から2年は投げれないね・・・」
と言われたそうで、お母さんも子どもも私と話しながら
泣いてしまいました。
本当にショックだったろうと思います。
いろんな書籍を読み、信頼できる整形外科医師に相談しても
答えは同じ。そんなに難しい診断ではないのだから
当然と言えば当然です。
野球辞めます・・・
一度折れた心を立て直すことができませんでした。
彼とはいろんな話をしましたが、私の力不足もあり
非常に残念な思いをさせて
本当に申し訳ないと思っております。
最後にご家族から
「親身になってくれてありがとう」
とお言葉をいただき、風のたよりで現在は
他のスポーツを楽しんでいると聞いております。
この私としては苦い経験から同じことが起きないために
何が必要か考えてきました。
そこで考えついたことが一致団結・皆様の協力です。
本日は少し長文になってしまったので
明日のブログにて、詳しくはお伝えできればと思います。
PS 四ツ谷接骨院に隣接する四ツ谷治療院のホームページを
リニューアルさせていただきました。こちらもどうぞご覧ください。
http://chiryouin-yotsuya.com/2017/10/26/1101/